どうも、12月の電気代が家族3人で約2万円となり焦っているサラリーマン兼農家兼のかめしめのしょーきです。
今回はさかのぼることおおよそ5年前のこと、煩悩の固まりで自分自身に嫌気をさしていた僕が、煩悩を消し込むべく、2泊3日の寺修行へ単身で出向いた時の話を紹介していきます。インパクトのある出来事ばかりで鮮明に覚えているため、寺修行に興味のある方などは是非最後までご覧ください。
文字より動画派という方はYoutube動画をご覧ください。
煩悩という皮膚に脳が覆われた男の選択
5年以上前の僕は”歩く煩悩”と言えます。
一度自分の中で決めたルール(例えば毎日脳トレをするとか、ウォーキングするとか)も3日経たずに挫折しますし、タバコも、夜中の大食いも…身体に悪いと認識しながらも自らの意思でやめることができず、煩悩に負け続ける日々をおくっていました。
また、落ち着きも全くなかったんです。
例えば、会社の研修会で100人ほどの前に率先して立ち、マイケルジャクソンのムーンウォークを発表したり、同じく会社の研修会で数十人の前で滑らない話(と思っている話)をしたり、会社の懇親会でステージ上で一人だけ上半身裸になり腹筋したり…
振り返ってみても、僕は一体全体何がしたいのか、自分自身でもよく分からい状態になっていたんですね。そんな僕は常々、”果たしてこのままでいいんだろうか…”と、生き方についてぐるぐると答えのない問いに悩んでいたわけです。
そしてそんな日々を送っていたある日、名古屋のクラブに出向くと、素敵な女性と出会ったんですね。その女性と話したのは1時間未満ですが、その時点で僕はその女性に心を奪われていたんです。
その女性が今の嫁ということは別の機会で紹介していきますが、その女性は本当にキラキラしていて、”僕は今のままではだめだ。何かしらの行動を通じて生まれ変わらなくちゃ”と思い立ったわけなんですね。
そこで、生まれ変わるために何をすればいいのか?を、全知全能の神であるグーグル先生に確認したところ、一瞬で以下の回答を得られたんです。
・滝修行
・寺修行
・自衛隊入隊体験
僕は悩みに悩み、一番辛そうではない2泊3日の寺修行を選択したんですね。
3食出てシャワーも寝床もあって、合計で1万円で2泊3日できるとのことで、かなりお得なプランだなぁと思ったもんです。
そして迎えた当日、僕は申し込んでしまったことにかなりの後悔を覚えつつ、愛知県から高速を乗って2時間ほどで目的地に向かったわけですが、途中で山から発せられる磁場にやられたのか?ナビが狂ってしまい、到着時刻は約束時間の30分ほどオーバー。
この時点で愛知県に帰りたい願望が溢れ出ていたのですが、来てしまったものは仕方がないと、ペコペコしながら受付を済ませ、遂に、寺修行へと突入したのです…。
これが現実!2泊3日寺で過ごした修行の全容とは
寺修行の内容をざっくりとお伝えするとこんな感じです。
朝:5時30ごろに起床して太極拳やら掃除を経て朝ごはん
昼:座禅やらを昼ご飯を経てフリー時間
夕:夕食やら座禅やらを経てシャワー後に睡眠(確か22時ごろ)
日が昇ったら起きて、日が降りたら寝るみたいな、2泊3日の間、昔の人みたいな生活をおくることになったんですが、その中でも特に驚いた出来事をかいつまんで紹介していきます。
食事中は音NG!静かなる食事会の最後に…
食事とは、人がカロリーを摂取するために欠かせない行動。そのため、多くの人はより楽しくカロリーを摂取するべく、今日の天気や身の回りの体験談などの世間話でもしながら和気あいあいと行うのが一般的かと思いますが、寺修行中はそうはいきません。
和気あいあいと話しているとお叱りを頂き、”カチャン”と箸を置く音が響き渡るとお叱りを頂いてしまうほど、あらゆる”音”を奏でることが禁じられているんですね。
僕が寺修行をした際は20人ほどが一斉に食事をしていたのですが、誰一人として喋らず、ただただ黙々と箸で口に食材を入れ込み、かみ砕いてお茶で飲み込むだけの不思議な時間が流れていたんです。
そして食べ終えると待っているのが皿洗い。
寺修行では皿洗いも独特な方法をとっておりまして、2泊3日の間、自分専用の大・中・小の食器+箸を持つことになるのですが、まず最初に大サイズにお茶を入れるんです。そして、中サイズの食器をごしごしと大サイズの食器に溜めたお茶で洗った後、中サイズの食器にお茶を移し替えて、同じく小サイズの食器を中サイズの食器に溜めたお茶でごしごしと洗っていく訳です。
最後に大サイズの食器と箸を小サイズに移し替えたお茶で洗い終えた後、小サイズの食器に残ったお茶を勢いよく飲み干しまして、ふろしきで巻いて保管しておくわけです。
食器を洗った際に使ったお茶を飲み干す(しかも2泊3日全て同じ食器)という画期的な方法は、一度使った食器は洗剤で洗う時代を生きる僕にとって中々辛い体験となりましたが、不思議なことに腹を壊したり、体調に異常が出ることは一度もなかったんですね。
事実だけに基づけば食器を洗剤で洗う必要は全く無く、もしかすると、僕はたちは商売のために誤った思考を植え付けられているだけかもしれません…。
ちなみに出された料理は自然の恵みいっぱいでして、味付けも濃くなく非常に美味しかったため、音を気にしない状態で食べられるのであれば、嫁と一緒に往復4時間かけていく可能性があるほどの料理でした。
怠るなかれ、睡眠も立派な修行の1つ
寺修行体験者の方々は、同じ空間で敷布団を敷いて寝るプログラムとなっていたんですね。
しかし僕の場合は、日ごろの行いが良すぎるせいか、遅刻をした罰なのか分かりませんが、仏壇の隣の6畳ほどの部屋に一人で就寝するように指示を頂けたんです。
正直多くの人と寝るのは気を遣うから嫌だった僕はラッキー☆とでも思っていたのですが、その部屋に飾られている掛け軸がとても良い雰囲気を醸し出していましたし、12月の山奥で薄い布団一枚だけだったため、内から湧き出る恐怖心と外から降り注ぐ冷風が自分の身体を包み込み、2泊3日なのに合計の睡眠時間は5時間も無いほどだったんですね。
2日目の寝る前とか、クラブで出会った素敵な女性(現在の嫁)のことを思い浮かべて、今すぐ帰っても咎められないにも関わらず、1人で勝手に涙ぐんでいました…。(スマホはフリー時間以外使用禁止のため声を聞くこともできず…)
これぞ寺修行の真骨頂!座禅と腹式呼吸で未来へ飛び立つ
寺修行と言えば真っ先にイメージするのが座禅ではないでしょうか。
実際に2泊3日の寺修行では、何回座禅を組んだか、どれだけの時間やったのかも覚えていません。
和尚様からは”座禅を組む時間を割くために他ごとは早く終わらせるべし”的な説法も頂いたほど、修行中は座禅に打ち込んでいました。
また、座禅を組むための専用の部屋がありまして、その中では私語は厳禁。鼻息すらも”静かにしてください”と注意されてしまうんです。
呼吸すら満足してできない過酷な環境下で僕は、たった1つのことを考えていました。
それは
“板でパーンされたい”
でした。
そう、僕は板でパーンされるのがどれぐらいの痛みなのか、凄く興味があったんですね。今思い返せば、一生のうちにやってみたい(やられたい)ことのリストの1つが板でパーンだったと思うんです。しかし、板でパーンをする方も体力を使うからなのか?和尚様は最終日まで板でパーンしてくれる気配が一切なかったんですね。
そして迎えた最終日。
和尚様が”邪念がある方は頭をおさげください”的なことを板を持ちながら言ってくれたため、全力の邪念で頭を下げて、板でパーンしてもらうことに成功したわけです。
念願の板でパーンの感想としては、背中から肩にかけて皮膚をパーンされたにも関わらず、皮膚よりも体内から痛みが広がっていく感覚が実に興味深かったです。
ちなみに、数十分間、何も考えずに足を組んで腹式呼吸をしていると、脳がもわーっとしてきて、かなり心地が良かったです。サウナーの方なら共感できるかと思うんですが、座禅を組むことでととのう状態にかなり近い感覚を得られました。
寺修行体験を終えた感想とその後の僕
参加者の中には、途中でいなくなる方もおられる中、投げ出しそうになりながらも何とか最後までやり遂げた僕…。最後にまだ修行を続ける方々に向け、お別れの挨拶をする場面があったんですね。
僕は、その日お別れする5人ぐらいの一番最後に挨拶することとなったんですが、正直、なんて感謝を告げればいいか、迷っていました。
しかも「人の大切さに気づくことができる良い機会で、これからの人生に…」とか「ここで学んだことを活かして…」とか、立派な挨拶を1人あたり1分強ほどしているわけですよ…。そんな中の最後の挨拶…このプレッシャー、伝わります?!
そして遂に僕の番がやってきまして、頭の中で考えていた堅苦しい挨拶が真っ白なキャンパスとなり、やらかたしてしまったんです。
「自分はこの寺修行によって、腹式呼吸の大切さを知りました。腹式呼吸を実施することで落ち着きを得られ、さらには顔がほっそりとして格好良くなくという記事もあったため、これからも腹式呼吸を続けてモテたいと思います」(ほぼ原文のまま)
周りはもちろん失笑でしたが、一人、年下の男性がにやにやしてたことがせめてもの救いでした。
僕は最後の最後で、煩悩を消し去りたい人たちに囲まれた状況下で煩悩を丸出しにさらけ出してしまったのか、自分でもよく分かりませんが、それはそれで良い思い出となっています。
ってな感じで、後味の悪い結果となってしまったのですが、その後の僕としては、この時の経験がかなりプラスに働いていると感じています。
毎日座禅を組んでいる訳ではないですが、ストレスが溜まって興奮していると感じたときには自然と腹式呼吸をするようになりましたし、多少の辛い経験があっても”あんとき乗り越えられたんだから”と己を鼓舞することができるようになったんですね。
そのため、今まさに寺修行を迷われている方には、行く選択肢に全力で背中を押してあげたいです。
寺修行の体験は、きっと、一生忘れられない刺激を脳に焼き付ける行為となるでしょう!
最後に、あの時、僕の挨拶を聞いてくださっていた修行者の方々に深々と謝罪したいと思います…。
あの時は、空気をぶち壊して申し訳ございませんでした。
ではでは…
最後までご覧頂き、ありがとうございました。
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