どうも、冷凍のフィッシュフライと唐揚げとレトルトカレーで最高の朝食を演出する男、サラリーマン兼農家のかめしめのしょーきです。
今回は、ドライバー歴10数年の男が、どうにも納得できない…譲り合い精神の感謝相手について紹介していきます。感覚的な話も入っているため、内容が難しくなってしまっていること、ご了承願います…。
文字より動画派という方はYoutube動画をご覧ください。
善意の素晴らしい行動
例えば、店舗の駐車場から出ようとしている車を、信号待ちしている時に割り込ませてあげたり、対向車が反対車線の店舗に入ろうとしている時、短めのハイビームをしたうえ待機して、対向車を店舗に入らせてあげるなどの経験、したこともされたこともある方は多いのではないでしょうか。
こういった行為は、”してあげる側”も”して貰った側”も、相手の顔を思い出すこともできないほど一瞬の出来事ではありますが、良いことをした/されて心がふわっとなったという記憶だけは残り続けるのではないでしょうか。
自身の前方を譲られる方は、己の時間を削ってまで”どうぞ、お先に行ってください”という意思を表明するわけですし、譲られた方はそのことを理解したうえ、交通事故にならない程度で最大限のお礼を表すべく、会釈したり、片手をあげて感謝を伝えるわけです。
譲らないと法律で罰せられるわけではないので、これらの行為は完全に善意で成り立っています。
これだけこれらの行為を褒め称えたうえで恥ずかしながらなのですが、僕自身も譲り合い精神を持ち合わせており、幾度となく同じシチュエーションを体験してきているわけなんですね。
善意の素晴らしい行動を支える人々
さてはて、譲り合い精神の素晴らしい行動の数々なのですが、時に不平等と感じることはないでしょうか…?
例えば、前に車を譲ってあげる際、譲った側と譲られた側はほっこり感が漂っている訳ですが、譲った車の後ろで待機している車がいる場合、それらの人々はほっこりしますでしょうか。
少なくとも僕が同じシチュエーションで待機してるならほっこりできないんです。
僕は目の前で繰り広げられる”譲り譲られの精神を目の当たりにしてもほっこりできない理由”を、ずーっと考え、二つの結論にたどり着いたのです。
一つ目は何と言っても僕の心の狭さ。
二つ目は、当事者たちは周りの支えがあってほっこりが成立していることに気づいていなかったからだと考えたんです。後ろで待っている人たちは当事者同士がほっこりしている間、この世のお金よりも大事と言われる時間を、ただただ削られているだけなんです。
例えば譲り合い精神をしている最中、後ろの人たちが、ただただ待たされることに嫌気がさしてプワァー!!とクラクションでも鳴らしたのであれば、ほっこり空間はたちまちイヤーな感じになってしまいます。しかし、ほとんどの人はそんなほっこり空間を嫌がることなくジッと待ち、何事も無かったかのようにアクセルを踏みます。
…と言うことはどういうことかと言いますと、一車線で後ろに車がいる状態で譲り合い精神を発揮するのであれば、少なくとも、譲ってあげる方は後ろで待っている車の方々に感謝の想いを込めなければ、後ろの方々は報われないということなんです。
イメージはこんな感じ…
①譲って貰えた車が、譲ってくれた車にほっこりを提供
②譲ってくれた車が譲り精神を待ってくれている後続車にほっこりを提供
③譲り精神を待っていた後続車もほっこり
この①~③が実践できれば、関係者全員がほっこり完結という、メビウスの輪が構築されるわけです。じゃあ②はどうやってすればいいの?という疑問も出るかもしれません。しかし、要は感謝の気持ちを持ちましょうということなので、必ずしも行動に移す必要は無のです。
…否。②でしっかりと後続車に感謝の気持ちを持つことができたのであれば、その先の道のりで、恩を返せる場面に出くわすこともあるでしょう。
まとめ
“終始何を言っているのか分からなかった”と感じた方も多々おられると思います。ただ、何となくで良いので…この部分は何だか分かる気がするなぁとなって頂けたら、そんなに嬉しいことはありません。
伝えたかったことをまとめると、譲り合い精神を支えている方々も、仲間外れじゃなくて譲り合い精神の輪の中にいるんだよということを分かってほしいのです。もちろん僕も譲ったり譲られた際、後ろで待っている車がいれば、後ろの車にもバックミラー越しなどで感謝の念を派生させていければと思っています!
ではでは、最後までご覧頂き、ありがとうございました。
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